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2010年11月

2010年11月28日 (日)

「天国の階段」献身とは

韓国のドラマはよく見ているが、

話、二度も見たのは「天国の階段」だけ。

二人の男(クォン・サンウとシン・ヒョンジュン)が

一人の女(チェ・ジウ)に惜しみなく愛を与える物語だが、

波乱万丈、シーンはめまぐるしく変わり、

劇的な恋愛が繰り広げられる。

「献身」というテーマが、

これほどはっきりと打ち出されたドラマはなかった。

最も感動したシーンがある。

失明の危機にいる愛する女のために、

死をもって自分の角膜を提供しようと

シン・ヒョンジュン演じる男が、

深夜の道路をひた走る場面だ。

猛スピードで飛ばし、車が激突する寸前、

男はハンドルから手を離し、自分の目を両手でかばう。

自分の体がボロボロに壊れ、

死が訪れようとも

愛する女に与える眼球を守るための究極の行為であった。

その場面を見ていて、号泣してしまった。

これほどの献身は現実社会にはないかもしれない。

普段あまり考えなかった献身という言葉をあらためて思ったZippo3

(マイジッポー)NO3

前回の昇竜より、

さらに運気が上がりますようにと購入した龍。

かなり使いこんでます。

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2010年11月27日 (土)

ハリーポッターのドラゴン

映画が公開された。

前回、あまりにダークな話になったので、

子どもたちはついていけるかと思った。

だが、ハリーポッターで私が一番感心しているのは

CGをはじめとする特撮技術である。

魔法や怪物など、そのナチュラルな仕上がりは、

さすが巨額の費用をかけているだけのことはある。

普通、CG画像を多用すると、

人間の実像とCG部分(風景や怪物など)が触れ合うポイント、

合成部分で違和感が必ず生じる。

本物と虚構が結びつかないのだ。

私はアバターにも感じたが、ハリーポッターにはない。

それだけ、特撮スタッフが優秀なのだと思う。

中でもお気に入りはドラゴン=龍だ。

ハリーポッターに登場するドラゴンの仕上がりと

合成部分は見事だ。

隠れた名作「サラマンダー」のドラゴンに匹敵する。

(マイ・ジッポー)NO2Zippo2_2

龍のデザイン。

運気よ、上がれとかなり使い込んだ。

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2010年11月26日 (金)

ZIPPOの誘惑

Zippo カチャリ、という音の感触がたまらない。

ジッポーを集めている。

コレクターというほど、大げさなものではない。

海外からの土産にもらったり、自分で特に気に入ったものだけ。

高価なものはない。

タバコを止められないひとつの理由が、ジッポーにある。

このカチャリという音を聞けなくなると思うと、寂しい。

ジッポーの誘惑は、禁煙に勝る。

(ジッポー)NO1

先日、飲み会でみなが、綺麗だと言ってくれたジッポーです。

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2010年11月24日 (水)

ガラスの巨塔 リアルなCG

Photo_2 今年の春に出版した「ガラスの巨塔」

おかげさまで、

読者の方から、様々な反響を

いただいています。

本の表紙は重要で、中身まで印象付けます。

ガラスの巨塔は、

一見写真に見えますが、

デザイナーがCGを駆使して作り上げたものです。

クールな感じが気に入っています。

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タニタの社員食堂はうまいのか

編集者の勝利でしょう。

「体脂肪計タニタの社員食堂」がベストセラーになっている。

世はダイエットブームで、その種の本はごまんと溢れている。

献立本から体操本まで、満艦飾状態だ。

その中で、健康計測機器メーカーの社員食堂に目をつけて、

しかも本にするという発想が、お見事といいたい。

本のメニューは、

食欲を刺激するほどうまそうには見えない。

だが、それがいいのだろう。

グルメ本ではない、健康食本なのだから。

実際に作って食ってみました。

ささみのピカタ定食。

脂身の少ないささみを、卵でくるんで、分量を増した料理。

特別にうまいというわけではないが、十分食べられる。

満腹と空腹の中間で落ち着いた。

料理もまた、きちんと成立していた。

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2010年11月22日 (月)

ダルビッシュの未来図

プロ野球のデータブックを読むのが、少年時代からの趣味だ。

各年ごとの選手の成績、年棒、出身校、身長、体重、

それ以外にも2軍での成績、トレードの有無など、

一人の野球人がどんなキャリアを重ねるのか、

過去、現在、未来を考えるのが面白い。

野球を楽しむには、ドラマがいる。

個々人のドラマが重なって、一層興味深いものにしてくれる。

ダルビッシュ有は、美しい投手だ。

ストレートは150キロを超し、しかも伸びたり、カットしたりする。

速いだけのストレートはあるが、

打ちにくいストレートを投げることの出来る投手はあまりいない。

変化球にいたっては、フォーク、スライダー、カーブにいたるまで、

磨き上げられ、芸術的なのである。

しかも身長が196センチある。日本人的サイズではない。

ボールに角度という、もうひとつの武器が備わっている。

レッドソックスの松坂もいい投手だが、残念ながら身長が足らない。

それが証拠に、

パワーとコントロールが万全でないと、いい投球ができない。

普通、ダルビッシュのような完成度は技巧派投手で

30歳ぐらいで得られるものだが、

まだ24歳ということが驚異だ。

ダルビッシュは日本の宝ではない。

大リーグでエースになれる稀有な存在なのである。

ワールドシリーズで、

メジャーの巨漢たちをねじ伏せる彼の未来図は確実にやってくる。

野球に集中できる環境でいてほしい。

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2010年11月21日 (日)

「のだめカンタービレ最終楽章」を見て

テレビシリーズ、特番、映画と見てきたが、

のだめがここまで人気になった最大の要因は、

若者たちの成長だと思います。

今の自分じゃ、駄目なんだ、成長しなくちゃという

もがきが面白さの中に垣間見えて、

多くの人の琴線に触れたのでしょう。

お笑いだけでは、ここまでの人気はでないでしょう。

クラシックに人生を託すというのは、どんな気持ちなのだろう。

いい音楽に包まれ、自分でその音をつむぎ出す、あるいは創造する。

それはきっと凄い快感に違いない。のだめを見ていてそう思う。

のだめはクラシックを身近なものにした。

僕も毎日、聞くようになった。

役者人生には、はまり役というのがあるのだろうが、

玉木宏はまさに、どんぴしゃだった。

千秋の役は、玉木宏の知名度を別のものに変えたと思います。

本当に、運と不運は、織り成すもので、

いくらいい役者でも、役に巡り合うのは至難のことなのでしょう。

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2010年11月20日 (土)

男が惚れる男 杉田秀夫さん

新刊「ゆれるあなたに贈る言葉」(小学館)の読者から、

第六章~こんなリーダーに仕えたい~

に記した杉田秀夫さんのことを読んで、

涙が止まらなかったとツイッターをもらう。

プロジェクトXには、様々な「男」が、登場した。

事にあたったときの決断力、長い歳月を耐え忍ぶ執念、

人を包み込む器の大きさ、さらには出処進退の潔さ。

多くの本物の男たちの顔が浮かぶが、

中でも瀬戸大橋5千人を率いた指揮官・杉田秀夫さんは、

私にとって憧れである。

「男が惚れる男」と杉田さんは部下から呼ばれたが、

これほどのほめ言葉が、あるのだろうか。

詳しくは本に書いたが、杉田さんほど、指揮官としての能力、

技術者としての現場感覚、家族への愛情、去り際の見事さなど、

どれをとっても見事な人間はなかなかいないだろう。

何をなし、どう生きたかが

人生において重要だと考えたとき、

私の尊敬の念は、無名でも、本物の男に向かう。

花便り

ウインターコスモスは、北アメリカ原産の花だ。

通常のコスモスより、花が小さく黄色。丈夫な花で

地植えすれば、霜の季節も乗り切ってしまう。

他の花より、存在感は薄いが

いつの間にか、長生きしてくれる。

ある日ふと、可愛くなる花である。

値段も安く、買うのも手ごろだ。

花言葉は「調和」

ウインターコスモスらしい。Winter

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2010年11月17日 (水)

中島みゆきさんの温もり

戦後最長のロングセラー「地上の星」誕生の裏側で、

どんなドラマがあり、

私が中島みゆきさんにいかなる思いを持っていたかは

新刊「ゆれるあなたに贈る言葉」(小学館)の第一章に記した。

プロジェクトXの最終回、

テレビでは歌わない彼女が出演を快諾してくれ、

エンディング曲「ヘッドライトテールライト」

を歌うためにスタジオに来た。

これが最後だと思い、一緒に写真を撮ってもらうことになった。

二人で並んで、私は緊張して、ぎこちなく彼女から離れて立った。

すると、みゆきさんが私の右腕を引き寄せ、胸に抱え込んでくれた。

中島みゆきさんの包み込むような柔らかい感触の中に、

私の右腕はあった。

歌姫の温もりが静かに伝わってきた。

みゆきさん専属のカメラマンが撮ってくれた2ショットの写真は、

宝物にしようとパネルに引き伸ばし、我が家に置かれている。

満面の笑みの中島みゆきさんと、こわばった私の顔。

時折、眺めては、幸せな気持ちになる。

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「ゆれるあなたに贈る言葉」放送と掲載のお知らせ

明日、MBS(毎日放送)ラジオ「朝からてんコモリ!」の

ブックウェンズデーというコーナー(午前6:50頃)で

「ゆれるあなたに贈る言葉」が紹介されます。

関西方面の方は、時間があれば聞いてください。

パーソナリィティーの子守さんは198センチの偉丈夫ですが、

とてもソフトな語り口です。

http://www.mbs1179.com/ko/

本日発売の「DIME」で「ゆれるあなたに贈る言葉」の特集が

4ページにわたって載っています。

インタビューされたものを「DIME」の視点でまとめたもので、

漫画も入って面白い構成になっています。
http://www.digital-dime.com/

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2010年11月16日 (火)

安藤忠雄さん「プロジェクトX」を語る

NHKでプロジェクトX「襟裳岬に春を呼ぶ」が放送された。

NHKアーカイブスの枠で、建築家の安藤忠雄さんがゲスト。

安藤さんが一番好きな番組で、涙が出そうになると話していた。感謝。

ことに主人公の漁師、飯田常雄さんの顔に刻まれた皴に、

言葉を超えた力があると言ってくれた。

「襟裳岬に春を呼べ」は

砂漠化した襟裳岬を、半世紀かけ、よみがえらせた家族たちの壮絶な物語。

制作していた日々を思い出した。

最初、企画に上ったとき、地味な話だと、しばらく考えた。

点で見れば、目の前にあるのは、砂漠に木を植える単純作業だ。

しかし、40年以上の歳月を、そこに費やした家族たちがいた。

その長い歳月を荒海にもまれ、生活の糧となる昆布をとり、

陸にあがっては、もっこを担ぎ、不毛の大地を営々と耕し続けた人々だ。

故郷を復興させようとする人々の静かな中にも熱い思いを感じ、

胸が痛くなったのを今も思い出す。

派手な話ではなかったが、それを堂々とゴールデンタイムでやるのが、

プロジェクトXの精神だった。

反響は大きく、全国の大学や高校で、授業の中でも扱われた。

番組のファン層が幅広く、強固なものであることを教えてくれた。

砂漠を蘇らせるために半生をかけた飯田さんは、5年前お亡くなりになった。

改めて、黙祷。

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2010年11月12日 (金)

本日発売「ゆれるあなたに贈る言葉」

新著「ゆれるあなたに贈る言葉」(小学館)を今日出版しました。

写真は小学館の編集者が神田にある東京堂書店で撮影してくれたものです。

なんと100万部ベストセラーの「もしドラ」のそばに置かれていたとのこと。

書き始めたのが夏の盛り7月です。それから出版までに5ヶ月近くかかりました。

編集者はじめみなさんの懸命の努力の末に、一冊の本に命が宿るのだと改めて感じました。

感慨深い、今日を迎えました。

早速ですが、様々なお声を頂いております。

「教育的視点も深く、感銘を覚えた」

「感動した!」

「本に登場する瀬戸大橋の指揮官杉田秀夫さんに涙した」

「力強い本だと思った」

などなど、

みなさまありがとうございます。Yureru

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2010年11月11日 (木)

「ゆれるあなたに贈る言葉」出版前夜

いよいよ、明日になりますが、

新著「ゆれるあなたに贈る言葉」(小学館)を出版します。

過酷な現代を生きる人々、ことに仕事にもがき、職場での人間関係や疎外感に悩むなど、心がゆれている人たちへのメッセージです。

私の仕事人生の体験とプロジェクトXをはじめ多くの番組で出会った人々の生き様を通して、抱えている苦悩を解決する手がかりにして欲しいと、魂を込めて書きました。

この本を書くにあたり、決めたことがあります。

すべて本音で語ること。

虚飾は一切捨てること。

耳障りのいい言葉でごまかさないこと。

読む人にとっては辛口の本かもしれません。

人間観察がきついと思うかもしれません。

しかし、当たり障りのないビジネス本にしたくなかったのです。

真摯な自分をぶつけ、実際の体験でしか、語る言葉を持ち得なかったのです。

皆様の心に、この本が響くことを願っています。

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2010年11月10日 (水)

プロジェクトXに寄せる思い

友人に案内され、赤羽橋のアルゼンチン料理店に行った。

料理も素晴らしかったが、店主が嬉しそうな顔をして、

うちの店のお客にプロジェクトXの出演者がいるんですよと、

語ってくれた。

そのお客さんはプロジェクトXのソニーのトランジスタの回で、

海外に飛び出していったRindou 営業マンの一人だった。

店主の誇らしげな顔が印象的だった。

番組が終わって5年近くも経つのに、いまだに多くの人がこの番組を愛してくれている。

先日は私学無償をテーマにした活動を続ける愛知のときめきシンフォニーに講演に行ったが、そこでも多くの人が番組のファンだったと言ってくれた。

プロデューサー冥利である。

さまざまなドキュメンタリーを作ってきたが、プロジェクトXは別物である。

これほど、人に大事にされた番組は私のプロデューサー人生の中ではない。

奇跡的にめぐり合い、心血を注いだ日々を思い出す。

金曜日に出版する「ゆれるあなたに贈る言葉」(小学館)にも、その苦闘の裏側も明かした。多くの人に読んでもらいたい。

(花便り)

りんどうの花という古い歌がある。

~むらさき淡いりんどうはあなたと摘んだ恋の花~

由紀さおりが歌っているが、泣けるほどいい歌だ。

我が家のりんどうはコスモスやシクラメンの花陰で目立たずにじっと

咲いている。群生している様は小さな花が肩を寄せ合って生きているようにも思え、哀れを誘うのである。

どうも花との相性があり、ランやバラなどのゴージャスな花は敷居が高い。素朴な花に心が引き寄せられる。

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2010年11月 9日 (火)

巨人は外野手コレクター

日本シリーズも終わり、プロ野球は選手補強のシーズンに突入した。

巨人はオビスポ投手との交換で、日本ハムから紺田外野手を獲得した。

この選手、年齢は三十歳、強肩で俊足の左バッターだ。

からだも大きく185センチ、身体能力も高そうである。

だが、呆れるのは巨人の外野手集め、執拗なコレクターぶりである。

ラミレス、松本、長野、高橋、亀井、谷、鈴木、工藤、矢野、さらに橋本

などの若手までずらりと揃っているのである。

みんな、力のある選手ばかり、控え扱いの鈴木は他のチームなら何年も前に盗塁王をとっていただろう。

矢野は常時出せば2割8分、15本塁打は軽いだろう。

工藤も立派なレギュラーになる、谷は首位打者だってとれる。

そうした選手が、このチームにおいてはまともに出場できない。

監督は競争をさせるといっているが、これは人材の無駄遣いだ。

競争するにもある程度の機会がなければ、実力を提示できない。

選手の寿命、一番活躍できるピークは投手で27、8歳。野手で32、3歳だ。

Azarea それからはみんな落ちてゆく。

特別な選手は、打撃成績や防御率を保つが、それでも筋肉は衰え、盗塁や奪三振は確実に減る。選手の寿命は花のように最盛期は短いのである。

あたら、競争という美名の下、あるいは巨人というブランドの中で、選手たちが老いてゆくのが可愛そうに思うのは私だけだろうか。出来ることなら、楽天、横浜、オリックスなど、選手層が薄いところにトレードしてあげたらどうだろうか?

選手にとってもその方がよっぽど、幸せに思う。

花便り

アザレアという花は不思議だ。一枚の花びらに白とピンクが同居しているのである。

夏祭りの女性もの浴衣のような柄なのである。台湾生まれで、品種改良されベルギーで育った。アジア、ヨーロッパの香りが込められ、アザレアという名を口にすると語感が心地よい。花言葉は「あなたに愛される喜び」

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2010年11月 7日 (日)

尖閣ビデオ流出を憂う

尖閣ビデオ流出。問題がずれていないだろうか?

紙面には、情報漏えいの記事ばかりが、的外れに踊っている。

内部の誰が漏らしたかは、政府の危機管理の脆弱さにあるのは間違いないが、問題は何があの海域で起きたか、誰も知らされていないことにある。

どういう状況で、いかなる事件だったのか

そして、

中国人船長の釈放が本当に許された事態だったのか、国民は蚊帳の外だ。

こんな国って先進国の中であるのだろうか?

外交問題は、国民は知らないでもいいという政府の驕りを感じる。

自分の国の危機を自分の問題として国民が受け止めなければ、

その国は衰退に向かう。

日本国民は敗戦直前まで、戦局が壊滅的な状況になっていることを知らされなかった。

知らされないことで、悲劇的なことが数多く起きた。

広島、長崎、沖縄、さらに満蒙開拓団など、これが人間社会に許されることかという、無残な体験をした。

知らないことは恐ろしいことなのだ。

なぜ、あの海域で起きたことを正確に知らせる努力を国はしないのか?

その不信感が多くの人間の怒りを買っていることに気づかないのか?

中国の領土的野心は恐ろしい。

尖閣だけでなく、沖縄すら自分の領土だと主張している人間がいる。

ダライラマを追い出し、チベットを実質上占領してしまった。

ベトナムとも深刻な領土問題を抱えている。

台湾への圧力は言わずもがなだ。

この国の脅威は北朝鮮より、怖いと感じる。

北朝鮮はトリックスターという感じ、実力はないが、脅しはうまい。

中国は違う、地力が桁違いだ。

日本はやっかいな隣国をもっていることを、強く意識しなければならない。

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2010年11月 5日 (金)

減量街道

減量態勢に入った。

というと、かなり大げさだが、中高年になると

全力でがつがつやらなければ、容易にむだ肉はなくならない。

まずは、歩くことが過去の経験からして最も効果がある。

私の友人は、歩きで50キロやせた。

(もっとも100キロ以上あったそうだが)

以前歩いていた時は、歩数計を睨み付けながら

目標の歩数をクリアーすることだけ考え、

足元だけを見ていた。

その退屈をしのぐために耳にはipodで音楽

それも歌入りのやつを音量を上げ聞いていた。

そのおかげで、とんでもないトラブルに巻き込まれたことがあった。

現在の散歩は、耳には何もつけない。

町のノイズや過ぎ行く人の息遣いや

今日など遠くからチャイムが聞こえてきた。

時計を見ると、不規則な時間だ。

ああと、納得、学校の終業を告げるチャイムがSikuramen

聞こえてきたのだ。

風景も見るようになった。

建てかけの家や空き地、突然目の前に落ちてくる枯葉なども

視界に飛び込んでくる。

今日感じたのは散歩ハイ状態だ。

歩き始めてしばらくはつらい、体も重い、

足など鉛のようになり、だらしなくも背中が曲がる。

ところが、どのくらい歩いたのだろうか、

おそらく六千歩ぐらい過ぎたあたりから

薄っすらと汗をかき、それが合図のように、

極めて心地よいハイ状態が訪れたのだ。

そうすると、不思議にからだがぴしゃりとし、背筋が伸びる。

闊達に歩みを刻み、もっと歩きたくなるのだ。

花便り

テラスのミニシクラメンがいい感じの色合いになってきた。

普通のシクラメンより値段も安く、何より丈夫。

雪をかぶっても平気なほど根性のある花だ。

ピンクと赤の中間色、グラデーションがなんともいえない。

ピンクのミニシクラメンは少女が頬を染めた色合いからだろう、

花言葉は「はじらい」。

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作家業を一言で

作家業になってテーマ探しに悩む毎日だ。

テーマのない作家とは、

魔力のない悪魔、

獣性のないライオン、

福音を伝えない天使のようなもの。

 

なぜものを書くのか、真の自分自身の姿を、

(たとえおぞましいものであったとしても)

自己のうちに深く沈潜することによって、探し求めること。

その行為と結果が、形として成立し、

出来れば読者に何らかの感慨を覚えてもらえれば幸せだろう。

追伸

昨日の我が家のけいとうの花について

花屋に行って聞いたら

うもう(羽毛)けいとうという種類と判明。

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2010年11月 3日 (水)

けいとうは電飾のような花

テラスのけいとうが可愛くも、心をなごませてくれる。

田舎町の電飾のよう花。

Keitou 赤、オレンジ、黄色、さらにそれらの中間色と

賑やかであるが、小ぶりなので嫌味がない。

けいとうの名が鶏の頭に似ているから名づけられた

というが、全く似ていないので調べてみると、

確かに純粋なけいとうは鶏の頭のように

ぐちゃぐちゃと赤い花である。

いろんな品種があるので、

我が家のけいとうは別物かもしれない。

あるいは、この可愛い花がこれから激しく変貌するのだろうか。

明日、花屋に行って聞いてみよう。

ただ、花言葉は素敵だ。いくつかあったが、

これが一番気に入った。

『色あせぬ恋』

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2010年11月 2日 (火)

クォン・サンウの男走り

役者にとって走りは重要だ。

刑事ものではみんなよく走る。

「太陽にほえろ!」に代表されるようにジーパンやマカロニは犯人を追走するためにひた走った。

恋愛ものにおいても、浜辺を恋人と走り回ったり、運命的な待ち合わせ時間に遅れまいと必死になって走るシーンはたびたびある。

「走る」という行為は、ドラマや映画の中で、画面を劇的にする重要な構成要素である。

私が今まで見てきた俳優の中で、もっとも、この走るという行為がかっこよかったのはクォン・サンウだ。

「天国の階段」でのワンシーン。死んだ恋人とうりふたつの女(チェ・ジウがやっている)と出会い、彼女が乗るバスを追いかけた走りだ。

普通なら相手は自動車なのであきらめるが、クォン・サンウは全く、平気で、走りながら追いかける。

腿が高く上がり、腕は鋭角に切れ、背筋は伸び、疾走する姿の美しいことに見惚れてしまった。

演技も加味されているだろうから、実際のスプリンターより素晴らしく思えた。

それ以来、すっかりクォン・サンウのファンと化し、彼の出ている映画はすべて見てしまった。

売れない時代はよくわからないが、「バッド・ラブ」や「シンデレラマン」など韓国ドラマも見た。

毎回のようにクォン・サンウの半裸のシーンが出るが、その筋肉美は凄まじい。

これほど完璧といえるボデイは見たことがない。単にボディビルというからだではないのだ。流れるようにまといつく筋肉なのだ。

胸板が盛り上がっている。

スプリンターは上半身の力が大事だといわれるが、彼の走りの見事さはこのからだが支えているのだろうと思う。

彼ほどでないにしても、韓国俳優の肉体はみな立派である。

韓国では俳優の条件として求められるのだろうか?

それとも兵役で鍛え上げられるのだろうか?

一方、こちらは哀れである。走るという行為など日常にはない。

走ることなど、もはや「出来事か、事件」でしかない。

最近は速歩を心がけているが、それでも息が上がる有様である。

情けないことこの上ない。

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